関西コンサート会場問題とエンタメ産業の構造的矛盾(2)

※この記事は「関西コンサート会場問題とエンタメ産業の構造的矛盾(1) - スカーレットの雑記帖」の続きです。

 

 前回記事の概要:関西圏に大規模な(といっても1万5千席クラスの)アリーナが存在しないことは確かに問題であり、それに関しては既存アリーナやプロ野球の本拠地球場の再整備等も考慮しつつ整備していく必要があるが、同時に首都圏における会場の供給過多という問題も存在し、それについて考え直すべきではないだろうか。

音楽ライブの収益性についての問題

 ここまで、コンサート会場そのものについての問題を中心に述べたが、一方で音楽ライブ興行そのものの問題も同様に存在することを指摘したい。というわけで前回記事と同様に改めてコンサートプロモーターズ協会(以下ACPCと表記)による声明をもとに問題点を整理していこう。

www.acpc.or.jp

 ACPCによれば、ほぼ全ての大型エンタメコンテンツの発信・主導が東京であり、それゆえに東京圏で採算が取れる規模である1万席クラスのコンサートを東京圏以外で行うと、移動費用や運送費、宿泊費のコストの問題から採算が取れないということになるのだが、筆者はこのACPCの主張にこそ現行の国内主体の音楽ライブ興行が抱える構造的問題が潜んでいると主張したい。

 そもそも、音楽ライブ興行の採算性の問題として近年の(特に岸田政権発足後の)物価高騰が挙げられているが、この物価高騰自体は国際情勢の影響を受けた全産業的な現象であり、実際に飲食店などでは少額の値上げの積み重ねなどによってこの問題に対処している。加えて、特に関西圏では円安とインバウンドバブルにより大量の外貨が流入していることもあって、日本円の実質的な価値(1万円という額面が持つ価値)は確実に低下している。すなわち、近年の物価高騰というのは、言ってしまえば単なる通常のインフレでしかなく、それに対して興行主などが適切に対処しているかどうかというと疑問符をつけざるを得ない。

 更に付け加えると、この手の興行全般に言える問題として、客単価が安すぎるというのも存在する。具体的な例を挙げると、例えばプロ野球などでは当たり前のように行われている「個々の観客席に対して明確に値段の差をつける」ということすら行われていない興行が、特にポピュラー音楽系においては顕著に見られるという問題がある。もっと言えば、どの席が当たるか完全に運次第という理不尽な興行も多々見られ、同じ「A席」でも問題なく観覧できる席と視界に障害物があったりして満足に観覧できない席があったりする事例もあり、とてもライブ興行で収益を稼ごうという姿勢は全く見て取れないとしか言いようがない。「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」ではないが、それこそ例えば以下の画像のように演者がすぐ側を通る「花道席」で、演者と握手できるという特典までつけて売るとしたら、それこそ似たような条件の席の100倍とか500倍という価格であっても買う人は買うだろうし、実際にそういう席を設けているライブ興行も存在する。画像はバンダイナムコが抱える有力コンテンツであるアイドルマスターのものだが、このような声優主体のコンテンツでは更にキャラクター関連の物販も充実させていることが多く、それにより客単価を上げているという側面もある。この手のコンテンツに馴染みのない方にもわかりやすい例を挙げるとしたら、矢沢永吉氏のライブも同様の好例として挙げられるだろう。チケットの価格の差別化に話を戻すと、世間で問題になっている「転売ヤー」も、元を正せば「最初の公定価格が需要に対して安すぎる」のが原因であるから、それこそ(上限を定めつつ)オークション形式なども取り入れてダイナミックプライシングを行うようにすれば、転売ヤー問題を解決しつつ音楽ライブ興行の収益性の向上にも繋がるのではないのだろうか。

「花道席」の例。アニメ「アイドルマスター ミリオンライブ!」より。

 もっと言えば、地方在住者が東京での音楽ライブ興行を観覧する場合、必ず多大な交通費および宿泊費の負担が生じることを考慮しなければならない。裏を返せば、首都圏在住者は異常とも言える住居費や通勤費用を払ってまで、音楽ライブ興行に関して恵まれた環境にいると解釈することもできる。そう考えると、それこそ地方開催にかかる追加コストを賄うためにも、東京開催時に地方在住者が負担していた東京への交通費や宿泊費を考慮して多少安く治まる程度にはチケット価格を上げても良いのではないだろうか。勿論多額の費用をかけて首都圏から地方へ遠征する観覧客の存在を否定するものではないが(当然逆も含む)、音楽ライブ興行という文化を全国的なものにし続けたいのであればこの程度の試みはあってもよいだろう。

 結局のところ、ACPCの言い分は、客単価を高めて収益率を高めるという当たり前の努力を今まで怠り、巨大な内需を抱える首都圏でしか成り立たないようなビジネスモデルを続けてきたエンタメ業界そのものの問題を、関西圏(もっと言えば首都圏以外の全ての地方)のアリーナ整備の問題に責任転嫁しているように感じられてならない。言い換えると、音楽ライブ興行という、本質的に「コト消費」の要素が極めて大きい産業において、未だに「モノ消費」的なマインドでしか物事を考えられず、それ故に客単価を高めて収益性を維持することができない興行主側の問題が目立つように感じられるだろう。

 ここまで音楽ライブ興行そのものの問題について述べてきたが、ここまで述べてきたエンタメ産業が抱える構造的矛盾はまだ他にも存在する。最後はそれについてまとめて論じることにしよう。

 

国内エンタメ産業が抱えるその他の構造的問題について

海外アーティストの日本公演という観点から見ると?

 日本で公演を行う海外アーティストの視点に立つと、コンサートの開催地が東京だろうが大阪だろうが実は大差ない。世界的に人気の高いアーティストを多数抱える韓国からしてみれば、東京よりは大阪のほうが物理的にも距離が近いので大阪が抱える「施設不足」という弱点は多少カバーできるだろうし、米国のアーティストにとっては東京も大阪も距離的に大差ないというのも事実である。そして、彼らに共通して言えるのが「東京の芸能事務所・テレビ局・広告代理店の意向を汲む必要がない」という点である。すなわち、国内エンタメ産業の構造的問題の大きな要因となっているこれらの既得権を無視して事を運ぶことができるので、彼らに関西圏での公演を多数行ってもらうことを考えるのも一つの手だろう。

東京キー局頼りのビジネスという構造的欠陥について

 今の日本のコンテンツ産業は、残念ながら未だに東京キー局の強い影響下にあるのは事実であり、それ故に東京の巨大な人口(巨大な内需)ありきの「当たり障りのないもの」しか作れなくなっているという現状がある。一方で近年の大阪を中心とする関西圏にはコロナの影響を差し引いても稀に見る勢いで外国人観光客が訪れており、そんな彼らが東京を経由して広められた印象操作の影響と無関係に関西圏を高く評価しているという事実がある。さらに、東京には日本を代表するアーティストが多数集まっているが、彼らよりも優れたアーティストを多数抱えているのが韓国*1である。これらの事実を踏まえると、国内コンテンツ産業は今後の生き残りをかけて構造改革を断行する必要があるように感じられる。

外に出たがらない首都圏人

 X (Twitter)では、時折地方でのライブ開催について文句を垂れ流す首都圏人の声が多数上がってくるわけだが、地方在住者は東京でライブが開催されるたびに多額の遠征費用を負担してライブを観覧しに行くわけだし、遠征費用がチケット費用を上回ることも珍しくはなく、それ故に行きたかったけど断念することもあるという現実がある。ここまで来るともはやエンタメ産業の構造的問題から逸脱しかねないのだが、首都圏在住者は本当に「外に出たがらない」傾向が強いと筆者は感じる。これはもはやロコモティブシンドロームと言ってもいいかもしれないだろう。

 

 以上で「関西コンサート会場問題とエンタメ産業の構造的矛盾」を締めくくることにする。初回投稿からだいぶ日にちが経ってしまったが、どうかご容赦いただきたい。

*1:もっとも、韓国は現実の日本以上に激しい首都一極集中が問題になっているが、これは少なくとも日本人である筆者がどうこうできる問題ではないので深入りしない。