日本国(大日本帝国)の後始末

未曾有の円安が日本円という通貨の価値そのものを破壊している。勿論、これはあくまでも米ドルやユーロといったハードカレンシー(強い通貨)に対する通貨安であり、それ以外の通貨に対する通貨安ではないのだが、それでも曲がりなりにハードカレンシーの一…

(良識ある個の)自由(によって成り立つ繁栄と平和を)保守(するために戦う)主義

まず、今回の記事タイトルについてだが、括弧がやたら多く、しかも長ったらしくて読みにくいと思うかもしれない。だが、どうか許していただきたい。この記事タイトルは、私が「自由主義」および「保守主義」という政治思想に対してどう向き合うか、悩みに悩…

西鉄佐賀新線と福佐道路の建設を!

佐賀県佐賀市に「億ション」ができ、売れ行きも順調という、俄かには信じがたいニュースが飛び込んできた。最上階の1億円を超える2つの居室は既に完売し、残りの部屋も最低2900万円からという、立地の良さを勘案しても周辺の相場と比較して桁違いに高級なマ…

関西コンサート会場問題とエンタメ産業の構造的矛盾(2)

※この記事は「関西コンサート会場問題とエンタメ産業の構造的矛盾(1) - スカーレットの雑記帖」の続きです。 前回記事の概要:関西圏に大規模な(といっても1万5千席クラスの)アリーナが存在しないことは確かに問題であり、それに関しては既存アリーナやプ…

関西コンサート会場問題とエンタメ産業の構造的矛盾(1)

関西圏に大規模アリーナの建設を! 先日、関西圏を中心とする都市開発クラスタの間で、衝撃的なニュースが飛び交った。発端はOsaka Metroの森ノ宮新駅に併設される予定のコンサート会場の整備計画に対する見直しを求めた以下の記事である。関西圏に1万5千席…

記事が書けなくてごめんなさい

またも皆さんにお詫びをせねばなりません。実は、ある程度書き溜めていたブログ記事の下書きがあったのですが、最近のあまりにも慌ただしい情勢を見るに、こんな悠長な記事を書いている暇はあるのかということになり、急遽ボツにさせていただきました。本当…

病気を治すということ

実はこの記事を書く1〜2週間ほど前、インフルエンザを発病し1週間近く寝込んでいた。おそらく大切な友人を救うべく奔走した結果無理が祟った結果体調を崩してしまったのだろう。幸い、まず体温を測るとか、高熱ならお医者さんに診てもらうとか、こまめにうが…

グローバル時代の新国家論(4)〜国家はどうあるべきか?

国家は邪魔者である、でも今すぐには無くせない 既に何度も述べたことだが、グローバル時代における経済の主役は「都市」であり、都市どうしの競争がグローバル経済を活性化することは言うまでもない。そして、国家(中央政府)の介入がそれらに冷や水を浴び…

大場より急場、そして凡事徹底

まず読者の皆さんにお詫びです。本来はこのタイミングで公開する予定だった「グローバル時代の新国家論(4)」ですが、もう一回だけ延長させてください。いや、いつ書けるようになるかもわからないんで、しばらく「休載」することにします。何かもう、ホンマに…

ブログ更新の滞りに対するお詫び(というか言い訳)

この度はブログの更新が滞ってしまったことをお詫び申し上げます。 いや、ここまでブログを書いていない間何やってたんだという気持ちにもなりますよね。Uber稼働で忙しかったからブログを書けなかったとでもお思いでしょうか。残念ながら全然違います。プロ…

グローバル時代の新国家論(3)〜大阪の復活が日本を救う

大阪はいかにして復活したか 今やインバウンドバブルと2025年の万博に向けた開発ラッシュで日本一活気に溢れている都市であると言える大阪であるが、2007年まではありとあらゆる負のイメージに汚染され長い低迷期に喘いでいたのも事実である。実際、現代の大…

グローバル時代の新国家論(2)〜東京の時代の終わり

東京が「南に偏っている」理由 前回の記事で、東京は「ランドパワー(大陸国家)的」な都市であると述べた。今回の記事ではまずその点について論じるところから始めたい。 そもそも、東京(江戸)という都市が今のような世界的巨大都市になったのは、元を辿…

グローバル時代の新国家論(1)〜中央集権と権威主義の終わり

中央集権はもはや用済みである 前回の記事において、グローバル化とは分権化であると述べた。より詳しく言うと、グローバル化時代というのは自立した経済圏を持つ都市が主役となる時代であり、それまで国家が持っていた権力が都市(地方)に移譲されるという…

グローバル時代の新国家論(0)〜グローバル化という現象の本質

グローバル化とは「現象」である 世間では未だに「反グローバリズム」などと称して国境を閉ざし人や物の自由な往来を規制しようとする勢力が表向きの左右を問わず存在する。だがそんな主張は端的に言ってしまえば相手にする価値もない愚論に過ぎない。そもそ…

「無敵の人」を生まないために

無敵の人という概念は、元はネット掲示板由来の俗語に過ぎなかったのに、今や世間に名の通った社会学者までもが使うようになった。ありとあらゆる社会的資本や機会から疎外され、守るべきものも失って困るものも無い、そういう「弱者中の弱者」が社会に絶望…

距離感と愛情、そして尊厳

人との距離感というのは本当に厄介なもので、離れすぎてもいけないのは当然だが、近すぎてもいけないのはその通りである。俗な表現として「距離感がバグっている」というのがあるが、これは殆どの場合「人との距離感が近すぎる」という意味で、その結果馴れ…

なぜオタクは東京一極集中しているのか

そう言えば、X (旧Twitter)を見ていると、やたら「葬送のフリーレン」だとか「【推しの子】」だとかの広告を目にしますよね。きっとリアルでも流行っているのでしょう。そう思っていざ街に出ると、意外とその広告を目にしないんです。私は大阪に住んでいるの…

暴力から離れるための「その日暮らし」

恥ずかしながら、かつての私は「暴力による解決」を正当化しどこかそれに期待していたことがある。もちろん、真っ当な価値観の持ち主であれば、暴力による解決などとても受け入れ難いだろうし、法治国家としてもテロリズムの肯定に他ならない。それ以前に、…

信義・信頼・恩義・感謝〜普遍的な美徳

人間は、究極的には己の損得ベースで、生物的な本能に従って生きている。しかし、人間は集団で生きている以上、個々の「欲望」同士は必然的に衝突する。甲にとっては利益となる行動が、乙にとっては損害となるというのはありふれた話である。このような衝突…

寄り添いと切り離し

人に寄り添うのは本当に難しい。それもそのはず、他人の感情というのは誰であれ完全には分かり得ないし、個々の事情はそれぞれ異なるがゆえに、同じような事象についても適切な対処は人それぞれで変わるからだ。これは何も所謂「空気が読めない発達障害」で…

大阪都心でUber稼働して思うこと

○大阪都心だと基本的に同じ行政区か隣同士の行政区で完結する案件が多いので他の区を間に跨ぐだけでも遠いと感じるようになる。ついでに言っておくと大阪市の行政区はクソ狭い。 ○世間的には3kmはロング案件ではないらしいが大阪都心を自転車で稼働してると…

束縛・依存という病

束縛というのは本当に厄介な代物である。何しろ、束縛している側は相手を束縛している自覚がない一方、束縛される側からしてみれば嫌でも束縛している相手を意識させられるものであり、実際に自分自身の心理的安全性やトータルでの生産性*1を毀損されるとい…

人間を外すということ

人間を外す。最初にこの言葉を聞いたとき、私は何のことだか全く理解できなかった。より粒度の細かい表現をすれば、今まで私の脳内にあった日本語のコーパスにおいて、「人間」という名詞と「外す」という動詞が全く結びついていなかったので、それらを繋ぎ…

時給を上げるということ

一人の自立した大人という、自らの生活費を自力で稼ぐ必要がある立場として、非常に重要なのが「時給を上げる」という営みである。この時給を上げるという営みは、何も給料の良い会社に「転職*1」したりすることによって額面上の収入を上げることだけではな…

久しぶりのブログ執筆

この度、思うことがあってブログを再開することにした。 今まで、X (旧Twitter)での情報発信がメインとなっており、このブログを開設していたこと自体をすっかり忘れてしまっていた。とはいうものの、せっかくブログを開設して実際に記事を書いていた以上、…