大場より急場、そして凡事徹底

 まず読者の皆さんにお詫びです。本来はこのタイミングで公開する予定だった「グローバル時代の新国家論(4)」ですが、もう一回だけ延長させてください。いや、いつ書けるようになるかもわからないんで、しばらく「休載」することにします。何かもう、ホンマにすみません。私だって、自信を持って始めた連載記事なんですから、責任を持って次で完結させる予定でした。でも、今の私にそれを書いている暇は残念ながらありません。なんで、ホンマにもうちょっとだけ辛抱してください。

 

 と、言い訳ノーガキはここまでにして、今回予定を曲げてまでこの記事を書くに至った経緯を軽く説明しておきます。

 まず、事は昨年12月半ば頃に遡ります。ちょうど私が当ブログを復活させて暫く経った後です。私の友人にして恩人の一人(便宜上🐻さんとします)が、持病のリューマチがある上で、マイコプラズマ肺炎になって38度の高熱を2度も出してしまい、危うく死にかけたという事態が発生しました。しかも、🐻さんは私たちと共同プロジェクトで進めていた年末のコミケの現場責任者でしたが、容体が悪化しコミケ参加すら危ぶまれる事態となりました。なお、別の友人に協力してもらうことで、コミケという難局は何とか切り抜けることができました。

 幸い、🐻さんは一命を取り留めたのですが、その後の🐻さんからの治療報告を聞いた私と私の友人たちは、あまりの悍ましさに返す言葉が無くなるほどでした。🐻さんは神奈川県のとある地方都市に住んでいるのですが、🐻さんのかかりつけ医であるそこの開業医やその町の基幹病院での対応のお粗末さゆえに、本来重病ゆえに入院されて然るべき🐻さんが自宅で経過観察という名の放置をさせられたこととか、県都横浜の大病院の医師へのカルテの引き継ぎがあまりにものそっとしていて危機感が微塵も感じられなかったこととか、とにかく医療に関するありとあらゆる腐敗を目の当たりにさせられました。そういうこともあって、私たちは最終的に持病持ちでいつ病を得てもおかしくない🐻さんを、神奈川県の腐敗した医療環境から遠ざけるために、関西圏へ移住させようということで合意し、そのためにできることをひたすらやっているというのが現状です。

 

 というわけで本題に入ります。今回の記事のタイトルの1つ目のキーワード「大場より急場」は、元々は囲碁の格言であり、その意味は「大きな陣地を確保することも重要だが、それよりも今起こっている、石の生き死にに直結するようなせめぎ合いの方が優先順位は高い」ということです。これを今の私に当てはめると、「グローバル時代の新国家論」やその後に書く予定の別の評論記事は「大場」です。一方で、今回の🐻さんを巡る一連のあれこれこそが、今の私にとっての「急場」です。文字通り人の命、それもお互いにとってとても大事な人の命がかかっている状況ですから、急場と言わずして何と言いましょうか。もちろん🐻さんを助けることが自分自身の利益になるというのは否定しませんが、それ以上にこれは恩を感じている者には報いねばならぬという信義則に基づいての行動です。だから、私は他にやることがあったとしても、🐻さんを助けるというのを優先しているわけです。これが「大場より急場」ということです。

 そして、この「急場の中の急場」とも言える、🐻さんを瀕死の状態に追い込んだ神奈川県の医療の腐敗問題についてですが、これは一言でいうと、まさに今回の記事タイトルの2つ目のキーワードである「凡事徹底」が全くできていないということになります。カルテの引き継ぎとかそういうレベルの「凡事」すらまともにこなせないような医療体制で、どうやって人の命を救えるでしょうか。特に医療というのは、基本的には「熱が出たらまず体温を測る」とか「風邪をひいたらうがいする」というような「凡事」を徹底することで、重症化を防ぐというのが基本であるはずですし、同時に肺炎で38度の高熱が出たという「急場」に対しては、それこそ迅速に病院で診察させて入院させるというような適切な処置を取らないと、助かる命も助からないということになりかねませんね。逆に言うと、かかりつけ医から基幹病院にカルテを引き継ぐというような「凡事」すらまともにこなせないような医者に、大手術だとか複雑な治療だとかはできるわけがありません。医療というのはそういう意味ではものすごくシステム工学的なものですが、扱うのが人体という複雑系であり、そして人命という責任を背負っているわけですから、医療者というのはとにかく自らの仕事の一つ一つに真摯に向き合うのが当然でしょう。

 そしてこの「大場より急場」と「凡事徹底」は、何も医療だけに当てはまることではありません。それこそ現実の戦争だとか、企業経営だとか、あるいは政治だとか、おおよそ戦略が求められる全ての局面において重要であると言えるでしょう。具体的な詳細はまた別途個々の記事で書くこととして、これらの重要性は、まさに「平民の良識」というレベルで身についていて当たり前のことだと思うのです。そして、それができていない個人は間違いなく愚行を犯していますし、それができていない組織は確実に腐敗しています。身も蓋もない話ですが、そういうものです。

 

 幸い、🐻さんを巡る諸々に関しては、とりあえず協力できるあらゆる人脈を活用しつつ、🐻さん本人にも今の状況を的確に認識してもらったうえで今の神奈川県の医療組織に対して疑義を呈するという決断に至ったので、私自身としては一旦そこまで深くコミットする必要はなくなりました。というわけで、今回の記事はこれで終わりとし、近いうちに「グローバル時代の新国家論」の最終節にあたる(4)を完成させて公開します。