グローバル時代の新国家論(4)〜国家はどうあるべきか?

国家は邪魔者である、でも今すぐには無くせない

 既に何度も述べたことだが、グローバル時代における経済の主役は「都市」であり、都市どうしの競争がグローバル経済を活性化することは言うまでもない。そして、国家(中央政府)の介入がそれらに冷や水を浴びせることは、往々にしてよくあることである。となると、国家という存在がグローバル化という流れにおいて障壁となるのは自明のことだろう。現に、グローバル化という現象を端的に表現する言葉として「国境の壁が低くなり、消えつつある」というのがあるくらいで、グローバル化の先進地域であるヨーロッパ諸国では既にパスポート無しで隣国に行くのが当たり前になりつつある。勿論日本でも、少なくとも同じ西側諸国である韓国や台湾とは同じように国境をより低くして自由な往来ができるようにすべきなのかもしれないが、それが一筋縄ではいかないことは私自身も承知している。西ヨーロッパ諸国で国境を自由に往来できるのは周りが全部同じ西側の自由主義という価値観を共有する国々であるからであって、すぐ隣に権威主義全体主義国家が控えている日本ではそうは行かないのは自明だろう。

 これを別の表現で置き換えると、今のグローバル時代における、自由主義国家の役割として第一に求められるのは、グローバル化を拒絶し権威主義にしがみつく「国家」に対する防壁としての役割であるということになるだろう。そして、その防壁としての役割は、世界中が全てグローバル化という「自然現象」を当たり前のものとして受け入れるようになるまでは必要とされるということも言えるだろう。身も蓋もない話だが、ジョン・レノンの「イマジン」のような国境の無い世界というのは、それを世界中の人が望んで、なおかつ実際に行動してその前提条件を満たすこと(=グローバル化を拒絶するあらゆる権威主義体制が否定されること)で初めて成り立つ、そういう「遠大な目標」のようなものである。

 

日本という「統一国家」の今後は

 とはいえ、日本は曲がりなりにも西側自由主義陣営の一国である以上、大なり小なりグローバル化の影響を受け入れているし、実際に外国からの移民も少しずつ増えてきているのは間違いない。そして、インターネットという文明の利器によって、開かれたインターネットを介して繋がっている諸国との交流も存在する以上、日本という国を取り巻く「国境」は、グローバル化以前に比べれば確実に低くなっていると言ってよい。そして、そんな現実を目の前にすれば、日本国の中央政府の存在が大阪や東京、名古屋、福岡といった大都市を基盤とする自由経済にとって障碍となっているのは紛れもない事実である。その具体例に関しては、掘り返せば幾らでも出てくるのでここでは敢えて述べないが、いずれにせよ中央集権的な今の日本政府の存在がグローバル経済活動において、時流に乗る妨げになっているのは間違いないだろう。

 しかし、我が国における問題はこれだけではない。勿論鈍重な中央政府の存在だけでも十分大きな問題ではあるが、それに輪をかけて問題になっているのが、以前の記事でも述べたように、東京に基盤を置く中央政府が東京に偏頗した予算配分を行ったり、東京のマスメディアが東京だけが一方的に繁栄するような歪んだ印象操作を行なっているという問題である。これはすなわち、東京という権威主義的な巨大都市が大阪など他の大都市の自由な経済成長の芽を摘んでいると言い換えることもできる。つまり、東京という「反グローバル的な」存在が我が国を本当の意味のグローバル的・自由主義的な国から遠ざけているという、そういう構図になる。そして、そういう状態が続くということは、今まで続いてきた日本という統一国家の根底を揺るがしかねないような内部分裂を招きかねないということであり、その点に関して私は警鐘を鳴らす必要があると考えている。これは単に日本全土が一つの政府によって均一に支配されることがなくなるのを危惧しているのではない。日本中のどこでも一定の高いレベルの文明が維持される保証が無くなることを危惧しているのである。つまり、大都会と田舎で、ロンドンとアフガニスタンの辺境くらいの文明格差が生じることは普通にあり得るということである。

 

文化的統合の象徴としての「日本」へ

 では、このような最悪の事態を防ぐために、日本という「国家」ができることは何があるだろうか?

 先程述べたことは、謂わば「日本国の崩壊」というハードランディングの成れの果てとして想定される未来である。勿論、これは日本国の中央政府無為無策が行き着いた成れの果てであり、各地の地方政府の存在を完全に無視した暴論であることは先に断っておかねばならない。ここで地方政府の存在に目を向けると、各地の地方政府が、機能不全に陥った中央政府の役割の一部を、限定的とはいえ代行することは十分考えられる。そして、その中から有力な地方政府の一部が中央の支配を実質的に離れて「地方政権」として振る舞うことは容易に想像できるだろう。実際、現実の日本史においても、中央政権としての室町幕府応仁の乱を発端とする諸々の戦乱で事実上機能しなくなった時代において、実際に民衆を統治していたのは有力な地方政権たる戦国大名であった。そして、そのような群雄割拠の時代は、やがて時代の風雲児たる織田信長の出現により終わりを迎えることになった。そして、この時代においても、信長は当時の首都である京(京都)にいた天皇への拝謁を目標とし、それにより天下を統一することを目指していた。

 つまり、この室町時代末期という時代の混乱期においても、結局は天皇という「権力なき権威」、別の言い方をすれば「君臨すれども統治せず」の象徴的君主の存在が国家の統一の根拠として機能していたということになる。勿論この時代には「象徴天皇制」を明記した憲法など存在しない。そして、それは「象徴天皇制」をその筆頭たる第1条に掲げる日本国憲法が存在する令和の今においてもおそらく変わっていないはずだ。平成から令和への代替わりという、皇室・天皇と密接に結びついた大イベントが、国民総出で盛大に祝われたという事実を前にすれば、私がこれ以上深く語る必要はないだろう。いずれにせよ、ともすれば容易に瓦解しかねない我が国を緩やかに、しかししっかりと結びつけているのが「国家と国民の統合の象徴」としての天皇・皇室であることは間違いないだろう。そして、今後のグローバル化時代において、日本という国家に求められる役割もおそらくはそれと同様のものになってくると私は考えている。

 考えてみれば、日本の歴史において、天皇の役割は実権を持つ統治者から国民統合の象徴へと、一貫して立憲君主制へと向かう流れに逆らわずに変わってきた。勿論、明治維新から太平洋戦争敗戦に至るまでの約80年のような「例外」もあるのだが、その時代においてさえ天皇は一貫して立憲君主であることを期待され、実際にそう振る舞っていた(そうでなければ天皇親政を求めて武装蜂起した二・二六事件青年将校を鎮圧したりしないだろう)。同様の例を他に挙げるなら、米国という国においても、連邦政府や大統領の存在は、政治の実権のみならず米国国民としての共通の価値観を象徴するものとして、実体以上の存在感を放っている。非常に古い歴史を持つ君主国である我が国日本と、日本に比べれば随分歴史の浅い共和制国家の米国を単純比較することはできないが、いずれにせよ国家には「国民統合の文化的象徴」という存在意義があるように思えてならない。そして、国家の「国民統合の文化的象徴」としての役割は、グローバル化の進行により世界経済の主役が「国家」から「都市」へと移行している現代においてはますます重要性が高くなることだろう。また別の言い方をすれば、国家が「文化的に国中を緩くまとめ上げる」ことができるかどうかが、国全体の文明レベルの維持・向上に大きな役割を果たすとも言えそうだ。今後の日本国には、そのような役割を第一に果たすことを期待したいと結論付けて、このシリーズを終えることにする。