グローバル時代の新国家論(2)〜東京の時代の終わり

東京が「南に偏っている」理由

 前回の記事で、東京は「ランドパワー大陸国家)的」な都市であると述べた。今回の記事ではまずその点について論じるところから始めたい。

 そもそも、東京(江戸)という都市が今のような世界的巨大都市になったのは、元を辿れば徳川家康が関東地方一帯を統治するために、江戸の地を統治の中心地として選び、そこから利根川付け替えなどの治水事業などによって関東平野一帯を開発していったことに由来する。しかし、家康が関東入りした1590年の時点においては、関東地方において栄えている都市といえば鎌倉や小田原、川越、千葉、足利などであり、江戸は小さな城があるだけの、単なる東京湾沿いの小さな町に過ぎなかった。ではなぜ家康は江戸を選んだのだろうか。ここで、関東平野における江戸(東京)の地理的性質に目を向けてみよう。

現代の関東の地形

 東京という都市は、関東平野(関東地方)においてはかなり南に偏った場所にある。この「南に偏っている」というのがこれから述べる論の肝になる。ここに載せたのは現代の地形図だが、東京が南に偏った位置にあるのは見るまでもなく明らかだろう。ただ、それだけではなく、東京(江戸)は「西関東の東端にあり東関東に接している」ということも指摘しておきたい。家康が関東入りした当時の利根川は現代と異なり今の江戸川の流路で東京湾に流れており、現代の利根川下流にあたる部分は鬼怒川の本流であった。また、今でこそ利根川下流域にあたる東関東は平野が広がっているが、家康が関東入りした時点では香取海という遠浅の海が広がっていて、すぐ隣には利根川と鬼怒川という二つの川に挟まれた低湿地帯が広がっており、江戸が含まれる西関東とは地理的に隔絶された環境にあった。

 では、なぜそんな位置にある江戸を家康は選んだのだろうか。ここで、関東の地形が重要な鍵となってくる。関東平野は、西と北は険しい山脈に、東と南は太平洋という外洋に囲まれた環境にあり、謂わば日本国内の他地方とは比較的隔絶された環境にある。そんな関東平野を、家康の時代に外部から「侵略」するとしたらどこから攻め入るのが良いだろうか。西(東海・東山地方)や北(東北・北陸地方)から山を越えて陸路で攻め入るのは、その地形の険しさゆえに困難を極めるだろう。東の海岸(鹿島灘九十九里浜)から上陸するのも、当時の航海技術を考えると現実的ではない。となると、黒潮を利用して南の海岸(湘南・東京湾)から上陸するのが最も手早いということになる。これは実際に太平洋戦争末期に考案された本土上陸作戦において、米軍が湘南海岸に軍を上陸させてそこから東京方面を制圧するという作戦を立てていたことからもよく分かる。そうなると、関東平野の守りを固める上で最も重要になるのが、南の海岸からの上陸侵略を食い止めることであり、その要となるのが江戸、すなわち今の東京ということになる。すなわち、東京という都市は、西や北にある後背地を根拠とした大ランドパワーをもってして、南の海岸や東関東の低地帯からのシーパワーの「侵略」に対抗するために選ばれた軍事拠点としてつくられた都市であると言えるだろう。

 

シーパワー国家の中の例外的なランドパワーとしての東京

 ここまで書いてきたように、東京という都市は島国すなわちシーパワーである日本においては例外的といっていいほどにランドパワー的な都市であると言える。もっと言えば、関東平野の地理的特性がそもそも極めてランドパワー的な要素を多分に含んでいるといってよくて、そう考えるとシーパワー国家としての日本の首都を置くのには本質的に相応しくない場所であると言わざるを得ない。山がちで平地が少なく、入り組んだ海岸線を持つ我が国日本において、関東地方はその例外と言っていいような広大な平野を擁し、また波の穏やかな内海に面していない(日本海も太平洋に比べれば穏やかな海である)という特徴から、そもそもシーパワー要素が薄くランドパワー要素が強いので、そこに置かれる政権は必然的にランドパワー政権の特徴を持つことになる。歴史を振り返ってみても、源平合戦関ヶ原の戦い戊辰戦争と我が国を二分するような大戦が起こるときは、ほとんど「西日本のシーパワー」対「東日本のランドパワー」という構図になる。

 そして、特に1940年の国家総動員体制から今に至るまで、そんな東京にすべての権限を集中させる政策を続けている今の日本国は、残念ながらシーパワーとしての本分を喪失し、歪な「ランドパワーもどき」になろうとしているようにしか思えない。もちろん、我が国のすぐ隣にはロシアや中国という大ランドパワーが控えているので、いずれにしろランドパワーとして張り合うのは分が悪すぎる。ここに我が国の根本的な国家間の認識の誤りがあると言っていいだろう。これはグローバル化が進む前の時代から変わっておらず、それどころかグローバル化が進みシーパワー的な価値観の重要性が高まりつつある中でもその流れに適応しようとしていない分尚更質が悪い。今の東京は俗な表現をすれば「お山の大将」であるが、これこそまさにグローバル化という「都市の経済力が物を言う」時代において、「日本国=東京」という誤った認識にしがみついたまま、そのチッポケな既得権益を維持するために大阪を筆頭とする諸々の地方都市を虐めてまでこのような歪な体制を維持しようとしている。そして、そのような政策は、まさに東京に住む一般庶民も含めて、既得権益の外にいる日本国民すべてを不幸にするものでしかない。

 東京がお山の大将であり続けることを求める既得権益者の具体例としては、霞ヶ関の官僚であるとか、テレビ局や新聞社、出版業界といったマスメディア業界、あるいは一部の不動産業者などがあるわけだが、いずれにせよ極めて自閉的で狭い視野に囚われているのは間違いないだろう。そして、グローバル化という現実の前には、このような偏執狂じみた思い込みは全くと言っていいほど無力であり、さらに東京という都市そのものがその膨大な人口*1を支えられなくなっていることを考えると、東京に日本国のすべてを注ぎ込むような「国策」の限界はもはや火を見るよりも明らかだろう。

 

大阪叩きという東京の「構造的病巣」

 このようにして、東京は大陸国家特有の「膨張の果ての重力崩壊*2」という流れに、グローバル化という現象への不適応という形で乗ってしまっているわけだが、その中でもとりわけ病的な事例として「大阪叩き」が苛烈になっていることを指摘したい。その最も顕著な例が、不幸にも今年の元日に起こってしまった能登半島地震を引き合いに出して、来年開催予定の大阪万博を返上してその予算を地震復興のために使えという暴論であるが、このような歪んだ主張は情報革命が進んだ令和の時代になっても未だに掘り起こせばいくらでも出てくるのが現実である。もちろんこんな馬鹿げた論を振り翳して大阪経済の足を引っ張ることに生産性は何ら見受けられないのだが、それでも東京に数多く集中する「万博反対派」のような人たちにとっては自慰(示威)行為のような快感が得られるらしい。いずれにせよ、万博も含めたあらゆる事例における「大阪・関西叩き」は、本質的にはそのような生産性の無い「プロパガンダオナニー」でしかない。

 この「プロパガンダオナニー」というのが、東京というランドパワー権威主義都市を基盤にする「日本国」の構造的病巣であるのは間違いない。そもそもプロパガンダというのは、ナチズムにせよ共産主義にせよ、あるいは「フェミニズム*3」にせよ、自らの強さを「示威」するためのものではなく、自らの弱さから目を背ける、あるいは目を背けさせるための逃避的な「自慰」のための手段でしかない。そして、このような馬鹿げた「示威(自慰)行為」の捌け口が大阪であることは、ある意味では必然と言えるだろう。勿論、それはその主体が「東京」であるからなのだが、大阪というのは古くからシーパワーにより繁栄してきた都市であり(そしてその歴史は言うまでもなく東京よりも圧倒的に長い)、その中で異文化とコミュニケートする「天下の台所」としての矜持を保ち続けてきた都市である以上、本質的に東京の権威主義者どもとは相容れない存在である。そして、プロパガンダオナニーと私が名付けたこの現象は、謂わばグローバル化という大きな波に必死で抗おうとする悪足掻きと本質的には同じである*4

 このような「身内からの圧倒的な虐め」を受けてもなお、大阪・関西はアフターコロナにおける「インバウンド・万博バブル」を追い風に、圧倒的な速さで経済成長を続けているのが現実であり、そこから大規模な外資系企業の誘致や国際金融資本による大阪への投資という強烈なコンボが更に大阪経済の躍進という流れを生み出している。しかし、かつての大阪は、それこそ「東京からの虐め」を真に受けてしまい、社会主義の毒に冒されて本来のシーパワー的な諸々の気質を失って停滞し、さながらかつての英国の「英国病」よろしく「大阪病」に苦しんでいたのも事実である。次回の記事ではこの「大阪病」の克服からのインバウンド・万博バブルによる復活を軸に、大阪的価値観の復権というテーマで、グローバル化への適応を論じることにする。

*1:ちなみに、東京ほど巨大な人口(約3500万人)を擁する大都市圏は東京の他には存在しない。2000万人クラスかそれ以上のの大都市圏で先進国にあるのはニューヨークとソウルだけであり、それ以外はデリーやムンバイ、マニラなどアジアの新興国にある都市ばかりである。

*2:ちなみに、これはナチスドイツやソ連についても同様に当てはまる話である。

*3:勿論、真っ当な本来のフェミニズムのことを指しているわけではない。

*4:実際に、この手の大阪叩きに余念が無い馬鹿げたXのアカウントの多くが、反グローバリズムを旗印に時代遅れな社会主義的価値観に固執しているという事実は、私が見る限り何ら違和感はない。