なぜオタクは東京一極集中しているのか

 そう言えば、X (旧Twitter)を見ていると、やたら「葬送のフリーレン」だとか「【推しの子】」だとかの広告を目にしますよね。きっとリアルでも流行っているのでしょう。そう思っていざ街に出ると、意外とその広告を目にしないんです。私は大阪に住んでいるのですが、大阪の都心といえる梅田や難波、心斎橋でもまあ見ませんね。せいぜい日本橋オタロード界隈にちょこっとあるくらいです。

 ということは、これらのアニメ・漫画は、少なくとも大阪では言うほど流行ってないってことなんでしょうか?多分、東京だとこの手の広告は腐る程ありふれているんでしょうが、この差は一体何でしょう?私は今年2023年の年末にコミケのために東京へ行きますが、その時に改めてその手の広告がどれだけ氾濫しているか、確認してみたいものです。(コミケという特殊な場であることを考慮する必要はありますが)

 

 さて本題に入ります。どうしてこの手の「オタクが好きそうな」漫画やアニメ・ソシャゲの広告が、大阪の街中にはほとんど存在しないのかという話です。結論から言うと、広告を出すほど大阪では流行ってないからです。

 いやいやそんな単純な理由だったのかと。でも、考えてみてください。広告を出すのって無料じゃないんですよ。しかも、大阪の街中という衆目を集めるような場所ですから、それには相当な額の広告費がかかるはずです。広告を出したい会社からすれば、広告を出すにはそれ相応の費用対効果が必要になるはずです。私自身、所謂勤め人とやらには向いていないという自覚はありますが、それでもビジネスマン的な物の見方が全くできないとは思っていません。むしろ、下手な大学卒もどきよりかは、よっぽどこの手の認識はしっかりしているという自負はあります。広告を出しても費用対効果が薄いような場所には広告を出さない。当たり前の話です。

 この観点に関して、卑近な例を挙げてみましょう。秋葉原に乳児用紙おむつの広告が殆ど無い理由は何故でしょう?それは秋葉原に乳児用紙おむつを買うような人が殆ど来ないからです。これは秋葉原が「オタクの街」であり、それ故に基本的に若い独身男女をターゲットとした商売が成り立っているからです。ゆえに、乳児用紙おむつのメインターゲットとなる「子持ちの若い夫婦」は、秋葉原という(特殊な)商業地域のメインターゲットからは、どうしても外れてしまうので、彼らをメインターゲットとする商品の広告を出しても費用対効果が薄くなるのは明らかでしょう。

 

 話を戻すと、オタク向けアニメなどの広告が大阪の街中に殆ど無いのは、少なくとも大阪の街中を闊歩するような大多数の層にとってはこれらのアニメが受けていないからだと言えます。ではなぜ東京やSNSにはこの手の広告が溢れているのでしょうか。それはそれらの場所にはそれらのコンテンツのメインターゲットとなるような層(すなわち「オタク」)が多いからです。ではなぜ「オタク」は東京に多く、大阪(もっと言えば東京以外のほぼすべての地域)では少ないのでしょうか?

 オタクが東京に一極集中している理由は簡単です。地方から(マスメディアも含めた)公権力によって日本国内のあらゆるリソースを掻き集めて一極集中体制を築き上げている東京という「官製都市」特有の事情が、オタクという生き方と上手くマッチしているからです。もっと言えば、オタクという生き方が社会的に許容されるようになる流れは、東京一極集中の進展とほぼ時系列を共にしています。

 そもそも、オタクという生き方は、リアルの人間関係(血縁・地縁)とは一線を画す傾向が非常に強いのは言うまでもありません。そして、東京というのはそういうリアルの人間関係を基本的に薄めたり否定したりして成り立っている都市であるのは言うまでもありません。(大阪もこの傾向はありますが、東京ほどではありません)リアルの人間関係が濃密に残る地方部(ここでは「東京以外」を指します)において、オタクは基本的に生きづらさを感じるので、東京に流れ着くようになります。そして、オタク人口は現実の日本の人口分布以上に露骨な東京一極集中傾向を示すようになるので、結果的にオタク向けコンテンツの供給も東京一極集中するようになります。ゆえに、オタクはますます東京へと流れ着くことになります。これが「大阪でさえオタク向けコンテンツの広告が少ないのはなぜか」という疑問の答えです。

 

 東京一極集中の是非については、少なくともこの記事においては取り上げません。ただ、オタクという生き方が東京一極集中と強い相関関係にあることは事実です。そして、オタク消費の今後が、東京一極集中という構造の変化と共にどう変化するかは注目の余地があると言えるでしょう。今回はここまでとします。