ブログ更新の滞りに対するお詫び(というか言い訳)

 この度はブログの更新が滞ってしまったことをお詫び申し上げます。

 

 いや、ここまでブログを書いていない間何やってたんだという気持ちにもなりますよね。Uber稼働で忙しかったからブログを書けなかったとでもお思いでしょうか。残念ながら全然違います。プログラミングの勉強?それも違います。では何やってたのかというと麻雀です。

 おいおい、ここに来て結局は雀荘で麻雀やってただけかい!と突っ込みたくなるのは至極当然でしょう。実際これに関して、私としては反論するつもりは毛頭ありません。実際、麻雀って寝食を忘れるほどには楽しいし熱中するんですよね。それで勝てて「人の顔が書かれた紙」が手元に増えると「自分はこれだけで食っていけるのでは」と良からぬことを考えてしまうんです。でも実際は決してそんなこと無いわけで。

 麻雀に限った話ではないのですが、運に左右されるゲームって結局はその乱数の偏り故に成績に大きな分散ができるんですよね。で、自分の場合はたまたまその分散の「上振れ」を引き続けていたけれど、その後すぐに「下振れ」を引いてしまったという、たったそれだけの話です。当然手元にあった「人の顔が書かれた紙」はあっという間に他人の元へと飛び去ってしまいます。それこそ「泡銭は身に付かず」というやつです。

 

 というわけで月末の諸々の支払いのために今からUberでの稼働を再開します。実に1週間近く稼働していなかった計算です。何やってたんだと。これが本当の「自転車操業」……なんちって。

 

 こんな調子だとあの人も私との関係を修復したくないだろうな……。おまけにまた別のあの人にも会わせる顔がまるでありませんね。毎日何らかの勉強をするという約束だったのに、遊びにかまけて全く勉強を進めていなかったわけですから。

 

 なんかこう、本当に申し訳ありません。「グローバル化時代の新国家論」は必ず書きます。多分、次かその次で完結予定です。

グローバル時代の新国家論(3)〜大阪の復活が日本を救う

大阪はいかにして復活したか

 今やインバウンドバブルと2025年の万博に向けた開発ラッシュで日本一活気に溢れている都市であると言える大阪であるが、2007年まではありとあらゆる負のイメージに汚染され長い低迷期に喘いでいたのも事実である。実際、現代の大阪にとって最大の転機といえる2008年に橋下徹大阪府知事が就任するまで、大阪は「治安が悪い」「財政破綻一歩手前」といった状況から変わることができず、謂わば「大阪病」とも言うべき状況に陥っていた。その「大阪病」というのを具体的に説明すると、差別是正*1などをお題目にした公金によるバラマキ政策が際限なく膨れ上がり、住民にとって真に必要な公共サービスの質が劣化し、大阪都市圏としての長期的かつ経済的に意味のある成長戦略をまるで描けていない、そんな「公の腐敗」であると言えるが、これはまさに「社会主義の腐敗」と殆ど同じと言っていい。ちなみにこの「大阪病」の元ネタは「英国病」であるが、この原因が行き過ぎた福祉国家政策(=社会主義的政策)にあるのはもはや説明するまでもないだろう。

 さて、大阪が今のように復活したのは橋下徹氏が率いた大阪(日本)維新の会による行政手腕によるところが大きいのは言うまでもないが、ここでは維新の会の具体的な政策の是非についてというよりも、維新の会の理念について考えたい。維新の会という政党を「政治的に」分析するならば、日本では中道右派新自由主義を基本軸とする政党ということになる。だが、グローバルスタンダードに基づいて分析すれば、維新の政策自体は割と中道左派的(具体例としてはブレア、マクロンなど)と言ってよく、本当の意味で「新自由主義」であるとは必ずしも言えない。事実、維新は現役世代や子育て世帯への再分配や、なにわ筋線や淀川左岸線などの大規模かつ有意義な公共事業を重視した政策を行っており、その意味では米共和党的な「小さな政府」路線をとっているわけではない。しかし、それでも「日本的な文脈」においては「小さな政府の新自由主義政党」と見做されている。これは取りも直さず、戦後日本の政治に一貫して大きな影響を与えている自民党の政策が、特に田中角栄以降において「国家社会主義的」と言えるほど経済左派的なものであることと同義であると言っていい。そして何れにせよ維新はこの自民党の路線とは一線を画した政権運営を大阪で今も続けている。ここに「維新による大阪の復活」の本質的な答えがあると言っていい。すなわち、維新がやっているのは自民党的な利権差配からの脱却を、有権者・納税者を主体とした政策の実行という「凡事徹底」で行うということに他ならないが、それによって大阪が国家社会主義の毒を解毒することで、謂わば普通の自由主義経済都市圏として復活しているということになる。

 とはいえ、実際の大阪経済の躍進の原動力となっているインバウンドバブルや万博開発ラッシュは、確かに維新による大阪府政・市政の賜物であるわけだが、それよりも重要なのは民間による投資が拡大していることの方である。民間による投資の拡大は、確かに「民間活力の活用」という形で維新の政策の軸の一つとして存在するわけだが、それよりも重要なのは民間の投資家が「大阪に投資したい」と思わせるような機運である。この「投資したいと思わせる」ような機運がどれだけ重要かというのは、それこそ今の北朝鮮に投資したいとは(少なくともまともな経済観がある人は)誰も思わないというのを考えれば分かりやすいだろう。投資というのはリスクを負ってリターンを得る営みであるから、リスクとリターンが釣り合わなければ当然そこに貨幣や物的・人的資源が投下されることはない。維新は「身を切る改革」を合言葉に公金の流れの透明化や補助金バラマキの削減を徹底しているわけだが、このような政策が実施されていることによって「大阪は汚職が少ないから安心して投資できる」と投資主体が思えるようになることが大阪への投資を後押しすることになっているのは間違いないだろう。

 

大阪的価値観の復権

 さて、このような形で大阪への投資が進み、世界的に大阪が高く評価されつつある流れに乗っているのは間違いないわけだが、大阪が世界から高く評価される理由の一つに「ホスピタリティ精神」があるのは重要である。そもそも、万博にせよインバウンドにせよ、それらを成り立たせるのにホスピタリティの充実が必要なのは間違いないわけだが、大阪は幸いなことに古くから「天下の台所」や「食い倒れの都」としての歴史を有しており、それらが大阪のホスピタリティ精神を育んできたのは間違いない。そして、このホスピタリティ精神というのは、実は貨幣によって世界と繋がる交易・通商都市において培われる価値観に他ならない。そもそも、交易や通商によって成り立つ都市において、街を行き交う来訪者は基本的に「お客様」であり、そんな「お客様」をもてなすためにはそれ相応のホスピタリティが要求されるわけだから、当然といえば至極当然なのだが。

 更に言うと、このホスピタリティ精神というのは、そのまま「シーパワー的価値観」と言い換えることも可能である。というよりも、ホスピタリティ精神を中核としたさまざまな価値観の集積が、そのままシーパワー的な価値観であると言っていい。そして、それこそがまさに「大阪的価値観」であると言っていいだろう。よく、大阪は日本の中では非常に特殊な場所であると言われるが、これは今の日本が東京というランドパワー的価値観によって成り立ってきた都市の支配を隅々まで受けている中で、第二の大都市かつ西日本の中心都市として、そのような「東京的価値観」の影響からは独立した存在として存在感を放っているからに他ならない。以下にその「大阪的価値観」の具体例を、その対概念たる「東京的価値観」と対比しながらまとめてみたい。

  • 自由主義 ↔ 権威主義
  • 親資本主義 ↔ 社会主義
  • 合理性重視 ↔ 体面重視
  • 民間による投資 ↔ 官による投資
  • ダメと言われない限りはやってもいい ↔ やっていいこと以外はやってはいけない
  • 他人に世話を焼く ↔ 見知らぬ人は知らぬ存ぜぬ
  • よそ者に寛容 ↔ 排外的
  • 進取的 ↔ 保守的
  • 対等な人間関係が前提 ↔ すべての人間関係に序列をつけたがる

 ざっとこんなところだろうか。いずれにせよ、私がここに挙げた二項対立は、そのまま「海洋国家」と「大陸国」の価値観とそのまま言い換えることができるだろう。そして、島国であり古くから諸外国との交流によって文化を発展させてきた我が国日本がどちらの路線を取るべきかは、今更言うまでもないだろう。

 

大阪を蔑ろにする限り我が国に未来はない

 グローバル化という決定的で誰も逆らえない時代の流れの中では、必然的に海洋国家的な価値観、すなわち「大阪的価値観」こそが「グローバルスタンダード」になるのはもはや自明と言っていい。もっと言えば、先程挙げた「大阪的価値観」を受け入れることが、そのままグローバル化という流れへの適応であると言ってもいいだろう。逆に言うと、「東京的価値観」に固執するというのは、グローバル化の流れに背を向けるというのと全く同じであると考えて問題ない。そしてその先にあるのはただ破滅のみであると言っていいだろう。その具体例としては、それこそ東京における「京葉線ダイヤ改悪」という名の周縁地域切り捨てもそうだし、ウクライナ東部で壊走を続けるプーチンロシアの軍隊もそうである。もっと言えば、反米を旗印に掲げる北朝鮮やイランにおける人権侵害だって、元はと言えばグローバル化に逆らった結果国全体が貧しくなり、国民を等しく食わせられなくなったからであると言っていいだろう。いずれにせよ、このような醜悪な行為は、権力者やその取り巻きを除けば誰も幸せにしない。

 そういう意味では、東京の中央政府や東京マスメディアは今こそ大阪に対する差別的と言ってもいい冷遇・偏向報道・バッシングの類を今すぐにでもすべて取り止め、その非道を公的に謝罪し、自らがその権力を手放す必要があると私は考えている。だが、残念ながら腐敗しきった今の東京マスメディアにはそのような自浄作用を期待することはできないと思っている。この記事の本題からは逸れるが、俗に言う「文春砲」だって、週刊誌という東京マスメディアが自らの金儲けのためだけに一方的に有名人を吊し上げているという意味では、東京の不動産の資本価値の維持のためだけに大阪に対するネガティブキャンペーンを繰り返すプロパガンダ発信と全く同相であると言っていい。そういう態度を見ている限り、東京マスメディアに自浄作用を求めることは無駄だと断じるしかないだろう。

 となると、最終的には(グローバル化を受容しそれに適応する西側諸国の)外圧によって今の東京中心の権力構造を破壊し、中央集権を終わらせて地方分権を進めることにより、「東京的価値観」の毒を抜いて「大阪的価値観」を日本全国に浸透させる他ないという結論になる。こう書くと、他の地方から「押し付けられる価値観が東京から大阪に変わっただけで何も変わらない」と突っ込まれるかもしれないが、その心配は無用である。何しろ、「大阪的価値観」を受け入れるというのは、そのまま「グローバル化の流れに適応して地域経済を豊かにする」ことと同じである。そしてそれは日本という国家の解体という意味ではなく、むしろ日本という国家の「グローバル化への適応」とみなしてもよい。次回の記事ではこの「地方分権による日本という国家のあり方の変容」について論じることにする。

*1:これについて詳しく語るのは、少なくとも真の意味で大阪が地元であるとは言えない私には難しいし、ブログ記事の本題からは逸脱するので割愛する。

グローバル時代の新国家論(2)〜東京の時代の終わり

東京が「南に偏っている」理由

 前回の記事で、東京は「ランドパワー大陸国家)的」な都市であると述べた。今回の記事ではまずその点について論じるところから始めたい。

 そもそも、東京(江戸)という都市が今のような世界的巨大都市になったのは、元を辿れば徳川家康が関東地方一帯を統治するために、江戸の地を統治の中心地として選び、そこから利根川付け替えなどの治水事業などによって関東平野一帯を開発していったことに由来する。しかし、家康が関東入りした1590年の時点においては、関東地方において栄えている都市といえば鎌倉や小田原、川越、千葉、足利などであり、江戸は小さな城があるだけの、単なる東京湾沿いの小さな町に過ぎなかった。ではなぜ家康は江戸を選んだのだろうか。ここで、関東平野における江戸(東京)の地理的性質に目を向けてみよう。

現代の関東の地形

 東京という都市は、関東平野(関東地方)においてはかなり南に偏った場所にある。この「南に偏っている」というのがこれから述べる論の肝になる。ここに載せたのは現代の地形図だが、東京が南に偏った位置にあるのは見るまでもなく明らかだろう。ただ、それだけではなく、東京(江戸)は「西関東の東端にあり東関東に接している」ということも指摘しておきたい。家康が関東入りした当時の利根川は現代と異なり今の江戸川の流路で東京湾に流れており、現代の利根川下流にあたる部分は鬼怒川の本流であった。また、今でこそ利根川下流域にあたる東関東は平野が広がっているが、家康が関東入りした時点では香取海という遠浅の海が広がっていて、すぐ隣には利根川と鬼怒川という二つの川に挟まれた低湿地帯が広がっており、江戸が含まれる西関東とは地理的に隔絶された環境にあった。

 では、なぜそんな位置にある江戸を家康は選んだのだろうか。ここで、関東の地形が重要な鍵となってくる。関東平野は、西と北は険しい山脈に、東と南は太平洋という外洋に囲まれた環境にあり、謂わば日本国内の他地方とは比較的隔絶された環境にある。そんな関東平野を、家康の時代に外部から「侵略」するとしたらどこから攻め入るのが良いだろうか。西(東海・東山地方)や北(東北・北陸地方)から山を越えて陸路で攻め入るのは、その地形の険しさゆえに困難を極めるだろう。東の海岸(鹿島灘九十九里浜)から上陸するのも、当時の航海技術を考えると現実的ではない。となると、黒潮を利用して南の海岸(湘南・東京湾)から上陸するのが最も手早いということになる。これは実際に太平洋戦争末期に考案された本土上陸作戦において、米軍が湘南海岸に軍を上陸させてそこから東京方面を制圧するという作戦を立てていたことからもよく分かる。そうなると、関東平野の守りを固める上で最も重要になるのが、南の海岸からの上陸侵略を食い止めることであり、その要となるのが江戸、すなわち今の東京ということになる。すなわち、東京という都市は、西や北にある後背地を根拠とした大ランドパワーをもってして、南の海岸や東関東の低地帯からのシーパワーの「侵略」に対抗するために選ばれた軍事拠点としてつくられた都市であると言えるだろう。

 

シーパワー国家の中の例外的なランドパワーとしての東京

 ここまで書いてきたように、東京という都市は島国すなわちシーパワーである日本においては例外的といっていいほどにランドパワー的な都市であると言える。もっと言えば、関東平野の地理的特性がそもそも極めてランドパワー的な要素を多分に含んでいるといってよくて、そう考えるとシーパワー国家としての日本の首都を置くのには本質的に相応しくない場所であると言わざるを得ない。山がちで平地が少なく、入り組んだ海岸線を持つ我が国日本において、関東地方はその例外と言っていいような広大な平野を擁し、また波の穏やかな内海に面していない(日本海も太平洋に比べれば穏やかな海である)という特徴から、そもそもシーパワー要素が薄くランドパワー要素が強いので、そこに置かれる政権は必然的にランドパワー政権の特徴を持つことになる。歴史を振り返ってみても、源平合戦関ヶ原の戦い戊辰戦争と我が国を二分するような大戦が起こるときは、ほとんど「西日本のシーパワー」対「東日本のランドパワー」という構図になる。

 そして、特に1940年の国家総動員体制から今に至るまで、そんな東京にすべての権限を集中させる政策を続けている今の日本国は、残念ながらシーパワーとしての本分を喪失し、歪な「ランドパワーもどき」になろうとしているようにしか思えない。もちろん、我が国のすぐ隣にはロシアや中国という大ランドパワーが控えているので、いずれにしろランドパワーとして張り合うのは分が悪すぎる。ここに我が国の根本的な国家間の認識の誤りがあると言っていいだろう。これはグローバル化が進む前の時代から変わっておらず、それどころかグローバル化が進みシーパワー的な価値観の重要性が高まりつつある中でもその流れに適応しようとしていない分尚更質が悪い。今の東京は俗な表現をすれば「お山の大将」であるが、これこそまさにグローバル化という「都市の経済力が物を言う」時代において、「日本国=東京」という誤った認識にしがみついたまま、そのチッポケな既得権益を維持するために大阪を筆頭とする諸々の地方都市を虐めてまでこのような歪な体制を維持しようとしている。そして、そのような政策は、まさに東京に住む一般庶民も含めて、既得権益の外にいる日本国民すべてを不幸にするものでしかない。

 東京がお山の大将であり続けることを求める既得権益者の具体例としては、霞ヶ関の官僚であるとか、テレビ局や新聞社、出版業界といったマスメディア業界、あるいは一部の不動産業者などがあるわけだが、いずれにせよ極めて自閉的で狭い視野に囚われているのは間違いないだろう。そして、グローバル化という現実の前には、このような偏執狂じみた思い込みは全くと言っていいほど無力であり、さらに東京という都市そのものがその膨大な人口*1を支えられなくなっていることを考えると、東京に日本国のすべてを注ぎ込むような「国策」の限界はもはや火を見るよりも明らかだろう。

 

大阪叩きという東京の「構造的病巣」

 このようにして、東京は大陸国家特有の「膨張の果ての重力崩壊*2」という流れに、グローバル化という現象への不適応という形で乗ってしまっているわけだが、その中でもとりわけ病的な事例として「大阪叩き」が苛烈になっていることを指摘したい。その最も顕著な例が、不幸にも今年の元日に起こってしまった能登半島地震を引き合いに出して、来年開催予定の大阪万博を返上してその予算を地震復興のために使えという暴論であるが、このような歪んだ主張は情報革命が進んだ令和の時代になっても未だに掘り起こせばいくらでも出てくるのが現実である。もちろんこんな馬鹿げた論を振り翳して大阪経済の足を引っ張ることに生産性は何ら見受けられないのだが、それでも東京に数多く集中する「万博反対派」のような人たちにとっては自慰(示威)行為のような快感が得られるらしい。いずれにせよ、万博も含めたあらゆる事例における「大阪・関西叩き」は、本質的にはそのような生産性の無い「プロパガンダオナニー」でしかない。

 この「プロパガンダオナニー」というのが、東京というランドパワー権威主義都市を基盤にする「日本国」の構造的病巣であるのは間違いない。そもそもプロパガンダというのは、ナチズムにせよ共産主義にせよ、あるいは「フェミニズム*3」にせよ、自らの強さを「示威」するためのものではなく、自らの弱さから目を背ける、あるいは目を背けさせるための逃避的な「自慰」のための手段でしかない。そして、このような馬鹿げた「示威(自慰)行為」の捌け口が大阪であることは、ある意味では必然と言えるだろう。勿論、それはその主体が「東京」であるからなのだが、大阪というのは古くからシーパワーにより繁栄してきた都市であり(そしてその歴史は言うまでもなく東京よりも圧倒的に長い)、その中で異文化とコミュニケートする「天下の台所」としての矜持を保ち続けてきた都市である以上、本質的に東京の権威主義者どもとは相容れない存在である。そして、プロパガンダオナニーと私が名付けたこの現象は、謂わばグローバル化という大きな波に必死で抗おうとする悪足掻きと本質的には同じである*4

 このような「身内からの圧倒的な虐め」を受けてもなお、大阪・関西はアフターコロナにおける「インバウンド・万博バブル」を追い風に、圧倒的な速さで経済成長を続けているのが現実であり、そこから大規模な外資系企業の誘致や国際金融資本による大阪への投資という強烈なコンボが更に大阪経済の躍進という流れを生み出している。しかし、かつての大阪は、それこそ「東京からの虐め」を真に受けてしまい、社会主義の毒に冒されて本来のシーパワー的な諸々の気質を失って停滞し、さながらかつての英国の「英国病」よろしく「大阪病」に苦しんでいたのも事実である。次回の記事ではこの「大阪病」の克服からのインバウンド・万博バブルによる復活を軸に、大阪的価値観の復権というテーマで、グローバル化への適応を論じることにする。

*1:ちなみに、東京ほど巨大な人口(約3500万人)を擁する大都市圏は東京の他には存在しない。2000万人クラスかそれ以上のの大都市圏で先進国にあるのはニューヨークとソウルだけであり、それ以外はデリーやムンバイ、マニラなどアジアの新興国にある都市ばかりである。

*2:ちなみに、これはナチスドイツやソ連についても同様に当てはまる話である。

*3:勿論、真っ当な本来のフェミニズムのことを指しているわけではない。

*4:実際に、この手の大阪叩きに余念が無い馬鹿げたXのアカウントの多くが、反グローバリズムを旗印に時代遅れな社会主義的価値観に固執しているという事実は、私が見る限り何ら違和感はない。

グローバル時代の新国家論(1)〜中央集権と権威主義の終わり

中央集権はもはや用済みである

 前回の記事において、グローバル化とは分権化であると述べた。より詳しく言うと、グローバル化時代というのは自立した経済圏を持つ都市が主役となる時代であり、それまで国家が持っていた権力が都市(地方)に移譲されるという流れが支配的になる時代であるということである。すなわち、中央集権というあり方はもはや控えめに言っても用済みであるということになる。いや、用済みという表現ですら生温いかもしれない。もっと過激な表現をすれば「グローバル化の敵」と言っていいだろう。

 そもそも、中央集権というあり方は、一言でいえば「戦争」のために作られた制度であると言っていい。中央集権の利点というのは、端的に言えば頂点から末端に至るまで上意下達の指揮体系が確立されることであるが、これはまさに戦争においてこそ役に立つ構造である。だが、戦争というのは結局のところ、どんなによく見積もっても「ゼロサムゲーム」にしかならず、むしろマイナスサムになることすら珍しくない。そして、いずれにせよグローバル化という流れの主体となる「交易」は戦争のそういう性質とは無縁なところにある。交易は基本的にウィンウィンのプラスサムゲームであって、決して奪うか奪われるかというゼロサムゲームではない。そして、交易というのは本質的には中央集権とは相性が悪い。

 まとめると、中央集権という制度は戦争ありきでつくられたものであり、今後のグローバル化の時代における交易に基づく互恵関係を前提としていないということになる。言い換えれば、中央集権制はグローバル化という現象を支配する価値観とは根本的に相容れないということになる。

 

中央集権は権威主義である

 更に言うと、中央集権的なあり方は、そのまま権威主義的なあり方に容易に転ずる。もっと言えば、中央集権と権威主義は表裏一体である。これらは何ら不自然なことではない。そもそも、中央という一箇所に権力が集中するということは、必然的に絶対的な権力勾配が生まれ、それがそのまま絶対的な権威勾配に転ずることは自明だろう。絶対的な権威勾配が存在するということは、すなわち権威主義的なものが生じる根源となる。

 言うまでもなく、権威主義というのはグローバル化とは致命的に相性が悪い。何故なら、権威主義というのは本質的に自由な活動というものを嫌うからである。グローバル化という「流れ」が、個々人の自由な活動の上に成り立ち、かつ自由な活動があってこそこの流れが意味をなすことは今更説明するまでもないだろう。片や権威主義というのはすなわち権威・権力による統制ありきの価値観であり、グローバル化において肝要な「個人の自由」という価値観は必然的に否定され、摩滅させられる。すなわち、権威主義グローバル化は本質的に相容れないのである。

 

世界各国に見る中央集権との向き合い方

 とは言うものの、現在世界に存在する国々のほとんどは、19〜20世紀という「帝国主義から冷戦へ」という時代の歴史的な必然性から、程度の大小こそあれいずれも中央集権的な性質を持っている。そして、グローバル化の時代において中央集権国家の限界が見えてきているのは前述したように明らかである以上、多くの国々がこの流れに適応しようとしている。以下にその具体例をいくつか述べる。

 まず、我が日本を含む自由主義陣営の大親分といってもいい米国についてだが、ここはそもそも「合州国(United States)」の名の通り各州の権限が極めて強く、それ故に中央集権色が建国当初から薄いという極めて特殊な国である。だから、中央集権との向き合い方というものについては、建国当初からそもそもそんなに中央集権でもなかったので、あまり気にする必要もないという強大なメリットがある。

 続いて欧州の自由主義陣営の国々に目を向けてみよう。欧州で地方分権が比較的進んでいるドイツは、かつてナチスによる中央集権的な独裁という暗い歴史を反省するかのように、今では地方分権の優等生として存在感を放っている。同じようにかつて独裁政権下で地方を弾圧した歴史のあるスペインも、ドイツほどではないにせよ今では地方分権化が進んでいる。また、近代において一貫して民主主義国家でありながら、長らく中央集権・首都一極集中的な色彩が強かったイギリス(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)も、近年ではスコットランドを始めとする「国(country)」の権限が高まりつつある。欧州では最も中央集権的な国とされているフランスでさえも、近年は地域圏への権限委譲が徐々に進んでいる。

 では、自由主義陣営のアジアの国々はどうだろうか。韓国は長らく中央集権であり、今後もその流れが変わることはないだろう。だが、韓国は準戦時体制下にあるという特殊な事情を抱えている以上、一概に「地方分権化の流れに逆行している」とは言い難い。また、台湾も韓国ほどではないにせよ準戦時体制下にあるため、中央集権からの脱却が遅れているのは事実である。

 最後に、未だ権威主義体制が続いている中国・ロシアについては、その広大な国土ゆえに一見各地方(地方「都市」ではない)がある程度の自治権のもと繁栄しているように感じられるが、実際の所は首都の強大な権力による干渉が非常に強く、その意味ではガチガチの中央集権国家と考えても差し支えないだろう。これに関しては、見た目に騙されてはならないと考えなければならない。また、同じ権威主義体制であり、しかもそれ以上にグローバル化の流れに背を向ける北朝鮮については、もはや言うまでもないだろう。

 

東京至上主義体制から脱却できない日本

 ここまで、中央集権との向き合い方について実例を幾つか挙げたが、共通して言える流れとしては、権威主義体制の国や、そういう国々と最前線で対峙している国は、いずれも中央集権からの脱却ができていないと言えるが、そうでない国は徐々に中央集権からの脱却が進んでいると言っていい。では、我が日本はどうなのかと言うと、確かに中国やロシア・北朝鮮といった権威主義国家と国境を接してはいるものの、それでも在日米軍の庇護下にあるという国際的な立ち位置ゆえに、比較的軽武装で済んでいるという(分権化に進むうえでの)利点はある。だが、実際は東京の霞ヶ関・永田町による強固な中央集権体制が未だに続いており、そこからの脱却の流れは未だ見えていないと言わざるを得ない。これは東京という都市の性質によるものだと考えて差し支えないだろう。

 詳細は次回以降の記事に譲るが、東京(江戸)という都市は、実は徳川家康によって関東平野全体を統治するために開発されたランドパワー大陸国家)的な軍事都市として発展してきた。そして、その本質的な性質は実は令和の今も変わっていない。一方で、日本という国は地理学的には島国であり、すなわち地政学的にはシーパワー(海洋国家)と考えてよい。この矛盾こそが、平成以来の現代日本の停滞に関係しているだろうと私は考えている。

 いずれにせよ、現代日本の抱える諸問題の本質は、グローバル化という現象への適応が上手くいっていないということに由来し、そしてその原因は東京という「ランドパワー的軍事都市」が抱える矛盾にあると考えていいだろう。その具体的な分析を次回の記事で詳細に行うこととして、今回の記事を締めくくることにする。

グローバル時代の新国家論(0)〜グローバル化という現象の本質

グローバル化とは「現象」である

 世間では未だに「反グローバリズム」などと称して国境を閉ざし人や物の自由な往来を規制しようとする勢力が表向きの左右を問わず存在する。だがそんな主張は端的に言ってしまえば相手にする価値もない愚論に過ぎない。そもそも、グローバル化という世界的な流れは、グローバリズムなるイデオロギーによって成り立っているのではなく、交易というごく自然な人間の営みの延長線上にある現象に過ぎない。

 そもそも、人類の歴史というのは一貫して交易により異なる文明圏どうしが交わりあうようにして発展してきたものである。歴史を振り返ってみても、シルクロードから大航海時代、そして産業革命と資本主義に至るまで、すべて「交易」や「商売」ありきで成り立っているわけで、それらが存在しなかったら今の世界はこれほど便利にはなっていなかっただろう。そして、現代の世界で起きているグローバル化もまたこの文脈の上に成り立っている。インターネットという文明の利器を通じて世界中の情報が統合され、その結果世界中のモノやコトに用意にアクセスできるようになったこの現代において、世界中が一つの「市場」として今までにないレベルで活発に商業活動や情報発信が行われるようになったというのがグローバル化という流れの本質であり、その恩恵は世界中のあらゆる人々が受けている。(もちろんインターネットに接続できる機器があればの話だが。とはいえ、今や後発開発途上国だろうがネットに繋がるスマホは普及しているので、本当にごく一部の国を除いて情報格差は無くなりつつある。)

 ここで、グローバル化という一連の世界的な流れに、何らかの「思想」が特にあるわけではないことは明らかだろう。世界中を一つの統一された価値観に染め上げるなんていう(陰謀論じみた)発想なんてものは存在せず(あるというのなら証拠を挙げてみればよい。きっと無理だろうけど)、それどころか世界中にある多種多様な価値観の違いがより鮮明になって現れてきているのが現実である。話を戻すと、グローバル化という流れを支配しているのは、インターネットという便利なツールを使って生活をより便利にしようという、ただそれだけのごく自然な発想であり、そこに何らかの思想やイデオロギーは存在しない。そういう意味で、グローバル化というのは単なる現象に過ぎないのである。

 

インターネットが冷戦を終わらせた

 さて、現代のようにグローバル化が進む前の時代に遡ろう。とは言っても、100年前とかそれ以上昔に戻るわけではない。せいぜい40年くらい前、東西冷戦の末期に戻るだけである。

 1982年、現在のインターネットの共通プロトコルとして利用されているTCP/IPが標準化され、当時世界中に存在していたコンピュータネットワークを一つに統合するインターネットという概念がアメリカで提唱された。当時はまだ冷戦が続いており、アメリカを中心とする西側世界とソ連を中心とする東側世界の物的・人的交流は殆ど存在しなかった。そんな当時においても、アメリカは軍用のコンピュータネットワークを活用していたが、アメリカ軍は「情報の分散」を目的としてこのネットワークを構築していた。現在世界中で利用されているインターネットは、有り体に言えばすべてこの米軍のコンピュータネットワークの「お下がり」である。そして、その本質は情報処理を一つの巨大な汎用機(メインフレーム)に集中させるのではなく、いくつものコンピュータに分散させることで、たとえ一つのコンピュータで異常事態が発生しても、他のコンピュータで処理を行うことにより全体的な被害を最小限に食い止めることにある。

 この「分散」こそがインターネットの本質であり、これから述べるグローバル化の本質でもある。そして、これこそがアメリカが冷戦を制し、ソ連が崩壊した本質的な理由である。多極分散の反対は一極集中・中央集権なのだが、この構造は権力が集中している「中央」がダメになると一気にシステム全体がおじゃんになってしまう。そういう意味では非常に脆弱な構造である。そして、ソ連はこの中央集権的なシステムからついに脱却できないまま、権力中枢の腐敗が進み、やがてアメリカに敗れ崩壊することになる。その後、西側と東側という2つの世界を隔てる壁はやがて消え、かつて分断されていた2つの世界は緩やかに、しかし確実に統合されていった。この一連の流れが冷戦終結という世界史におけるビッグイベントの要諦である。

 

グローバル化とは分権化である

 ここまで、多極分散型のシステムであるインターネットが世界の情報通信に画期を齎し、また一方で権威主義自由主義に対する敗北を決定づけたという流れを掻い摘んで説明したが、世界を一繋がりにするというグローバル化という現象の根っこにあるのが、インターネットという多極分散型の構造であるのはある意味逆説的に感じられるかもしれない。しかし、これは何ら不自然なことではない。

 そもそも、中央集権という構造は、必然的に権威主義を志向し、その一方で分権型組織は自然と自由主義的な様態を示す。そして、権威主義的な社会においては、自然と組織の内と外の間に「壁」ができるようになり、「部外者」は内に取り込んで服従させるか、それとも殲滅させるかという選択になりがちである。一方、自由主義的な社会においては、基本的に「自分は自分、他人は他人」というスタンスになるので、自分の利益のために相手も利するというウィンウィンの関係を目指し、その結果異なる者同士がそれぞれの個性を維持しつつ緩やかに繋がるようになる。

 これこそが、分権型構造こそがグローバル化を推し進め、グローバル化こそが長期的・大局的に見て人類社会をより豊かにするという主張の根幹である。別の言い方をすれば、中央集権や権威主義は持続可能性に乏しく長期的に見て破滅を招くが、分権社会や自由主義は持続可能性があり長期的な発展につながるということである。

 

国家から都市へ

 先ほど、グローバル化によって価値観が画一化されることはなく、寧ろ異なる価値観同士の違いが浮き彫りになり、それぞれが独自の存在感を持つようになると述べた。その流れの最も象徴的なものが、主要先進国における地域主権・地域主義の伸展であり、覇権主義国家主義への反発であるのは言うまでもない。その具体例としては、それこそスコットランド(アルバ)やカタルーニャ(カタラン)の独立・自治運動であるとか、ロシアの覇権主義に毅然と戦うウクライナ中国共産党政府に対して民主化運動を続ける香港民主派が代表的であるが、これ以外にもいくらでも具体例はある。そして、それらの流れに共通しているのが、有力な経済都市の存在(グラスゴーバルセロナ・オデーサ・香港)である。

 すなわち、表面的には「地域主権」や「反権威主義」という形で現れているこれらの流れには、都市による経済的自立という背景があるといっていい。ここで大事なのは、これは「国家」ではなく「都市」が主体であるということで、それこそまさに「国家から都市へ」という流れそのものである。

 これは逆の側から見てもそうで、ロシアや中国といった権威主義国家が民主主義勢力を弾圧する構図の背後には常に「国家権力」が存在する。そして、表向きは自由主義である国においても、国家権力が新しいビジネスに対して既得権益保護のために規制という国家権力を用いて妨害するという構図においてもそれは本質的に同じである。

 つまり、グローバル化というのは、敢えて政治的な見方をすれば、国家権力の力の減退と自立した都市経済圏の力の拡大と解釈することもできる。ここで、都市というのは何も都市圏人口が300万を超えるような大都市に限った話ではない。極論すれば、都市圏人口が50万人あるかどうかの小さな都市圏であっても、独立した経済圏を築くことは十分可能である。もちろん、人口が1万人あるかどうかの小さな町が独立した経済圏を築くのは難しいだろうが、それでも周辺にある都市の一部となることでその都市を中心とする独立した経済圏の一部になることは可能である。何れにせよ、グローバル化という世界規模の流れにおいて、自立した経済圏を持つ都市が重要性を高めつつあるのは言うまでもないことである。

 今回はここまでとする。次回からは、この「分権化」と「国家から都市へ」という2つの流れをテーマに、今後我が国日本を含めた国家はどうあるべきかということについてじっくり考えたい。

「無敵の人」を生まないために

 無敵の人という概念は、元はネット掲示板由来の俗語に過ぎなかったのに、今や世間に名の通った社会学者までもが使うようになった。ありとあらゆる社会的資本や機会から疎外され、守るべきものも失って困るものも無い、そういう「弱者中の弱者」が社会に絶望して社会を震撼させるような凶悪犯罪を起こすという類型の犯罪者が「無敵の人」と定義づけられ、そのような犯罪を未然に防ぐためとして様々な主張が飛び交っているのが現状である。

 その中でも「生活保護などのセーフティーネットを拡充すべき」というのは比較的よく聞く意見である。ただ、この意見はどうも説得力として弱い。無差別殺人事件を起こすような「無敵の人」が、生活保護を受けられていたところで果たしてそのような犯罪に走らずに済むと言い切れるだろうか?確かに個人の力ではどうにもならない原因による生活の困窮をセーフティーネットで救済するのは必要だが、今起きている「無敵の人」という問題を解決するための根本的な答えではないように思う。

 この「無敵の人」問題については、他にも様々な意見が存在しているが、私に言わせればどれもピントの合っていない主張でしかない。西村博之ひろゆき)は「キモくて金のないおっさん*1にウサギを配れ」と主張していたが、あれこそまさに浮ついた出鱈目の極みである。私がこれから言いたいのは、そんな生温い話ではなく、もっと本質的な、それこそ切って血の出るような話である。

 

 「無敵の人」が残忍な蛮行に走る理由の多くは「この社会そのものに対する絶望と復讐」に他ならない。そして、そのような負のエネルギーの根源にあるのは「自尊心の完全なる欠如」であると断言できる。これはかつて何度も「無敵の人」になりかけた私だからこそ、我が身をもって断言できる主張である。前回の記事でも述べたが、「無敵の人」を生み出すのは強烈かつ執拗な自己否定の経験である。毒親をはじめとする他者による自己否定とは自尊心の破壊である。別の言い方をすれば自らのレゾンデートル(raison d'être)*2の否定であり、自らの精神の核の破壊であると言える。

 そういう意味でも、自己否定の洗脳をのべつ幕無しに続けるというのはあらゆる人道に悖る蛮行であり、そのような度し難い蛮行により自我が破壊されるということは、自らが誇り高く生きるということが事実上不可能になるということであり、そのような最悪の状態からの回復は並大抵のことではない。それゆえ、自己否定による絶望から二度と回復することなく、その結果生み出される負のエネルギーが増大し、破壊衝動と向かうことは非常に多い。破滅へ向かうエネルギーが自らに向くというのは、自傷オーバードーズだとか自死であるが、その負のエネルギーが他者に向くのが、それこそ無差別通り魔事件だとか、有形無形のテロリズムである。この自己否定による自尊心の喪失が引き起こす、他者に向けた破壊エネルギーの発動こそが、世にいう「無敵の人」による事件の本質である。

 つまり「無敵の人」の正体とは、自らが誇り高く生きるという、人間として当たり前のことができなくなり、全てに絶望した成れの果てである。かつて一世を風靡したアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の表現を借りれば「魔法少女ソウルジェムが濁り切って魔女化する*3」というのとほぼ同じである。勿論生活苦などが絶望を加速させることはあるだろうが、それでも本質的に人を絶望へと駆り立てるのは「自己否定」であり「自尊心の破壊」である。そして、破壊された自尊心が回復するのには相当な時間と精神的ケアが必要である。これは、毒親と物理的に距離を置いてもなお、絶望ゆえに「無敵の人」を正当化するような発想に走ったり、自死未遂を起こしたりしている、私自身の切って血の出るような生々しい経験から導き出された私なりの結論である。これに関して、私としては未だ完全に回復しているとは言えないが、それでも「昨日よりは良くなっている」と言えるように、日々精進して生きている。それが、過去に私自身の負のエネルギーを発散してしまい迷惑をかけた友人たちに対する、せめてもの私なりの贖罪である。

 

 ここまで、自己否定と自尊心の破壊による絶望こそが「無敵の人」という怪物を生み出すと述べた。それではどうすれば「無敵の人」が生まれないようにできるだろうか。それは「すべての人が誇り高く生きられるようにする」ということだと私は考える。非常に抽象的で哲学的な主張だと思うが、何のことはない、自尊心の否定による絶望から「無敵の人」が生まれるわけだから、その逆を行けばよいだけである。そのための具体的な諸々については、また別途述べることにして、今はこの「すべての人が誇り高く生きられるようにする」ということそのものだけを考えたい。

 すべての人が誇り高く生きられるようにする。言うだけなら簡単だが、実際にそれを実現するとなると非常に難しい。何しろ、今の日本社会においては、この「誇り高く生きる」という、人として当たり前の権利が蔑ろにされているような場面があまりにも多いからである。具体的なそれについて列挙するのは、今は割愛するとして、これらに共通していることとしては、歪んだイデオロギーによる精神的支配があることを指摘したい。とにかく「○○という属性であるならば□□であるべきだ」という、しょうもない固定観念があまりにも多すぎて、人間として当たり前に存在する個性を束縛している。このような現実を変えないことには、「無敵の人」はいずれまた違う形で出現して、我々の生きる社会に災厄を齎すだろう。嘗て日本中を震撼させた、新興宗教の皮を被ったテロリズム集団であるオウム真理教の犯罪者も、ある意味では生きづらさを拗らせた「無敵の人」の成れの果てであろう。それと同じようなことが繰り返されるのは、平和に生きていたい一市民としてはまっぴらごめんである。

 話を戻そう。すべての人が誇り高く生きられるということはどういうことか。それは「誰もがありのままの自分自身を肯定し、健全な自尊心を持ち、日々を一生懸命生きていける」ということである。それこそ、世界を代表する米国のポップ・スターであるレディー・ガガの"Born This Way"(私はそう生まれてきたのだ)という歌のメッセージそのものである。ガガは思春期に壮絶ないじめの経験を受けたが、それを跳ね除けて世界中を魅了するポップ・スター(アイドル)となった。彼女はその歌の中で「肌の色も、性的指向も、何も関係なく、神様はみんなを完璧に造ってくださった。だから自分は自分らしく生きよう」と歌い上げている。人は誰であれ、この歌の通り、生まれながらにして誇り高く生きる権利がある。今の日本に足りないのはこの精神ではないだろうか?別の例を挙げると、明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」という言葉もある。元々は1985年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故で、本来乗る予定だった事故機に乗らずに済み、命拾いをした彼の一言である*4。だが、ここではそれ以上に、誰であれいきいきと己の人生を生きているというその事実だけでも既に十分誇らしいという意味で捉えたい。自死を思い止まらせ、前向きな生へ一歩踏み出す言葉として、これ以上の言葉は他に無いだろう。

 人が生まれながらにして当たり前に持っている自尊心を何よりも尊重する。たったそれだけのことが、我々の生きるこの社会には何よりも重要であるという結論で本記事を締めくくることにして、最後に世界人権宣言の第一条を引用しよう。

すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利について平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

 

 

*1:少し前まではKKOと略して呼ぶことも多かったが、最近ではより広い概念として「弱者男性」に取って代わられつつある。

*2:存在意義。

*3:魔法少女の魂そのものであるソウルジェムは、絶望などの負の感情によって濁り、それが限界まで達したときにソウルジェムがグリーフシードとなって魔法少女は魔女へと変貌する。

*4:ちなみに、彼の娘であるIMALUの名前の由来でもある。

距離感と愛情、そして尊厳

 人との距離感というのは本当に厄介なもので、離れすぎてもいけないのは当然だが、近すぎてもいけないのはその通りである。俗な表現として「距離感がバグっている」というのがあるが、これは殆どの場合「人との距離感が近すぎる」という意味で、その結果馴れ馴れしさだとか鬱陶しさだとかを感じる。

 かく言う私も残念ながらこの通り「距離感がバグっている」と言われるたちである。別に悪意があって人との距離感を詰めすぎているわけではないのに、適切な距離感というのがわからなくて結果的に他人に迷惑をかけてしまうという、そういう意味では非常に損をする、残念な性格であると言えるだろう。自分としては嫌われたくなくてやっていることが、相手からしてみれば完全に裏目に出ているので、自ずと人が離れていくし、問題のある人物しか周りに残らなくなる。

 では、このような人との距離感について問題のある性格はどのようにして形成されるのかというと、実のところこれに関しては個々の事情というのがあるので一概にこうだと決めつけることは難しい。ただ、共通して言えることとしては、適切な距離感というものを身につける機会に恵まれなかったというのはあるだろう。というわけで、今回は自分の場合について内省を伴う自己分析をもとに考察してみる。

 

 思えば私は一人の人間として尊重される機会に恵まれないまま大人になってしまった。その原因が「毒親」であった義理の母にあるのは言うまでもない。彼女は私が何歳になろうと、私が家出を決行して物理的に距離を置くまで、ついぞ私自身を一人の人間として、歳相応に尊重するということをしてこなかった。彼女は私のことを何歳になろうと束縛し支配し続けていた。彼女による洗脳のもとでは、すべての行動が彼女の機嫌を損ねないという基準によって意思決定され、いつしか自分自身もそれに対して抵抗する意志が抑えつけられてしまっていた。当然そんな環境下では自分自身が一人の人間として尊重されるわけもなく、また自分自身もいつのまにか「自分の人生を生きる」という当たり前のことを忘れてしまっていた。勿論愛情や愛着についても同様で、親子の間に育まれる本質的な真心からの愛情なんてものは存在せず、結果的に愛情に飢えている状態が常態化していた。

 そういう前提条件において、自分のことを一人の人間として見てくれる他人というのは、願ってもない理想的な存在であり、もっといえば「神」のような存在であった。私はいつの間にかそういう人たちに対して、家庭をはじめとするリアルの人間関係では満たされない愛情や愛着を求めてしまうようになっていた。それが相手からしてみれば鬱陶しくお門違いなことであると気づくことなく。

 自分の人生を生きるということについても同じことが言えて、本来は人それぞれ別々の人生があり、それぞれの人生の主役はあくまでもその人自身であるのは言うまでもないが、私は無闇に距離感を詰めるという形で相手の人生を乗っ取るようなことをしていた。勿論相手からしてみれば不愉快なことこの上ないのは言わずもがなである。

 まとめると、これまでの私は家庭において満たされなかった愛情や尊厳を満たそうとするために、他人の人生にズカズカと土足で入り込み、踏み台にするようなことすら厭わない承認欲求のモンスターになっていた。そのような私自身の無礼な行いによって傷つけられ、離れていった人は数知れないし、つい最近までその性格が改まっていなかったのも認めざるを得ない。特に、親身になって寄り添ってくれた人に対して、いやそういう人であればあるほど、私のそのような気質が強く働いてその人を苦しめていたことに関しては、並々ならぬ恩義があるということもあって余計に罪悪感を感じている。

 

 ここまで自分自身のことについて、懺悔も交えて述べた。愛情にせよ尊厳にせよ、ありのままの自分自身を最も身近な人である家族に認めてもらい、肯定してもらうという経験に恵まれなかった人というのは、往々にして人格が歪んでしまうことが多い。そして、大人になってその人格的な歪みを矯正するのも並大抵のことではなく、そういう意味で「毒親とは縁を切っても切りきれない」と言える。社会を震撼させるような凶悪犯罪者には、少なからぬ割合でそういう「毒親育ち」が多く、そのような境遇故に人格が歪んでしまったこともあって社会的に恵まれず疎外されてしまった「無敵の人」と成り果て残忍な犯行に手を染めてしまうのは容易に想像がつくだろう。無論、ここで述べたことが「無敵の人」による蛮行を正当化するものではないということは言っておきたい。

 以上は極端な例だが、もっと卑近なケースとして、所謂パワハラおじさんとかお節介おばさんも、毒親育ちとまでは言わないが、一人の人間として尊重されずに大人になってしまった人たちの成れの果てであると言えるだろう。彼ら彼女らに共通しているのは、生まれてから今に至るまで、一貫して「何らかの入れ物」に入った人生しか歩んでこなかったという点である。別の言い方をすれば、彼ら彼女らは社会によって暗黙のうちに決められた「役割」を演じているに過ぎず、自分自身の人生を生きてこなかったとも言える。そして彼ら彼女らは、他人に対しても、自分と同じように「与えられた役割」を演じるように仕向ける。まるで出来の悪い演劇(ドラマ)のような構図だが、演劇は観る人たちがフィクションであると分かっている前提で、緻密に構成された脚本とそれに基づく役者の真剣な演技があるから面白いのであって、こういう独り善がりで一方的な「演技」の押し付けは、それがフィクションではないリアルの社会においては、控えめに言ってもただ興醒めなだけだろうし、もっと言えば不愉快そのものである。

 繰り返すが、人にはそれぞれ「自分自身の」人生があって、その主役は決して(家族も含めた)他人ではない。これは何も人を色眼鏡で見るような手合いに対してだけではなく、自分自身についても同様に言える話である。お互いが自分自身の人生を生きられるようにするためには、まずはありのままの自分自身を肯定的に認めたうえで、他人との関係を見つめ直し、適切な距離感を持つ必要がある。

 

 結論としては、ここまで述べてきたことは概ね「自分自身が尊重されることが適切な距離感のある人付き合いの礎となる」と要約できる。相互の尊重とそれに基づく適切な距離感は「親しき仲にも礼儀あり」というような、相互にとって持続可能な人間関係を維持するだけではない。もっと広く言えば、全ての人が誇り高く生きられるようにするために必要不可欠なものである。

 不遇な生育環境や過去のトラウマ故に健全な人格形成ができず、それが元で他人との人間関係に苦しんでいるのであれば、まずは自分自身を責めたり社会に責任を求めたりするのではなく、一度精神科や心療内科で適切なメンタルケアを受けることを、当事者として私は勧める。メンタルケアを通じて自分の過去に向き合いつつ、日々を有意義に過ごすという「凡事徹底」の精神で脳内のS/N比を正常化することで、自ずと自尊心やそれに基づく他者への尊重も育まれ、持続可能な人間関係を維持できるだろう。

 今回は一旦ここまでとするが、「全ての人が誇り高く生きられるようにする」というのは、今後も幾度となく掘り下げていきたいと思う。これは今後の人類社会の大きなテーマになるのは間違いないだろう。